鼓動 鈴木光司
鼓動 鈴木光司
鼓動 鈴木光司

 大学三年の夏休みが始まったばかりの七月、胸にのしかかる就職活動の憂鬱から逃れ、これからしばらく羽を伸ばすこともままならないだろうと、ひとりで訪れた八丈島滞在の五日目……、朝六時半の神湊(かみなと)港は静けさに包まれていた。
 海に向かう道路を歩きながら、左手に顔を向けると、島影に南風が遮られてうねりひとつない港内に浮いているヨットが見えた。ヨットの周囲を縁取る金属部分に、夏の朝日が照り返して、白い船体が輝くようだった。
 岸壁に舫(もや)われたヨットは一隻のみであり、間違えようがない。
「ラッキー・レディ」という船名を見るまでもなく、これが太田黒オーナーのヨットであろうと、北島には察しがついた。
 五日前の夜、北島は、竹芝から出る船の二等船室に乗り込んで、なんのあてもなくふらりと八丈島にやって来た。底土(そこど)港にほど近い民宿に二泊し、レンタカーの軽自動車を借りて島内を巡り、温泉三昧の日々を送るうち、所持金が尽きかけたのは、昨夏と同じ展開である。昨年の夏休みに九州を旅したときも鹿児島で金が尽き、建設現場でアルバイトをして旅費を稼いで宮崎からフェリーに乗って東京のアパートに帰り着いた。
 計画も立てず、行き当たりばったりで旅をするのが、北島の性に合っているのだ。
 そのせいもあって、目前に控える就職活動が嫌で嫌でならず、できれば逃げ出したくなる。
 面接に受かる自信がまったくないのは、地方公務員の母より稼ぎが少なく、「甲斐性なし、意気地無し」と、いつも母にけなされている父の影と、将来に向かって伸びる自分の影が重なるからだった。
 五歳年上の姉が父を見る視線も母と同じであり、家族の中、せめて長男の北島だけは味方につけたい父は、「おまえはかわいいやつだな」と、ことあるごとにすり寄ってきた。そんな父を牽制するため、中学生のときに、面と向かって宣言したことがある。「おれは父さんみたいにはならない」
 父は、暖簾(のれん)に腕押しで、へらへら情けなさそうに笑うばかりだった。
「そんなこと言ったってなあ、おまえだって、年をとればこうなるんだよ。血は争えない。おれたち、似た者同士なんだ。ほら顔だってそっくりだ」
 年をとるほどに父の遺伝子を引き継いだ証しが増えていくように思え、北島は、ずっと若いままでいたいと切に願うようになった。
 病気がちのため、職を転々とするたびに収入を減らし、ここ数年定職にありついてはいない父と顔が似ているとしたら、就職活動をしても採用される見込みは薄い。
 うまいこと仕事を得たとしても、数十年にも及ぶその先の光景を、ざっと見通すことができる。同じ職場に通い、結婚して子どもが生まれ、家と職場に縛られる毎日が続く。父の予言通り、妻から軽くあしらわれ、家庭内に居場所はなくなり、子どもたちから疎んじられるかもしれない。ふらりと気儘に旅をするなんて夢のまた夢……、数十年後に時間を取り戻したときには、自由を謳歌する気力体力とも尽きているのが関の山だ。
 八丈島に来て金が尽きたという事態が、大学卒業後の生き方を象徴しているようで、不安や憂鬱は募るばかりだ。
 そんな中、太田黒弘樹との出会いは一筋の光明と見えた。
 会った瞬間、北島は無意識のうちに太田黒と父を比べていた。
 八丈島から東京に戻る交通手段は、飛行機か船かのどちらかである。飛行機の料金は船賃の二倍近くするため、北島の財布事情に鑑みれば船という選択肢しか残っていなかった。しかし、それにしても千円ばかり足りない計算となり、さてどうやって工面しようかと思案していたところ、窮状を見かねた民宿の主人からアルバイトをもちかけられ、渡りに船とばかり飛び付いて、民宿に併設された居酒屋で働き始めたのが一昨日のことである。
 居酒屋でアルバイトをしなければ、常連客の太田黒と出会うこともなく、ヨットで本土に戻るという僥倖にも恵まれなかったと思うと、つくづく自分は運がよかったと思う。
 一昨日の夜、居酒屋の座敷を占領する八人の男たちの中心に陣取って、太田黒は豪快に酒を飲んでいた。父と同じ年頃の太田黒であったが、全身から迸るエネルギー量に格段の差があるのは一目瞭然だった。
 太田黒は、仲間四人とともにホームポートの熱海をヨットで出港し、新島に一泊してクルーを交替した翌日、夜通し航海をして八丈島に到着したという。飛行機で馳せ参じた仲間たちと合流して繰り広げるドンチャン騒ぎも二晩目という頃合だった。
 ビールや焼酎を幾度となくテーブルに運んでいるうち、いつの間にか北島は太田黒の隣に座らされ、「まあ、飲め」と杯を受けることになった。
 「島の者か」と訊かれ「東京から来ました」と返すと、「じゃ、なぜこんなところで働いてるんだ」と笑われ、肘でつつかれた。
「旅の途中で金が尽きたのです」
「計画性のない野郎だ。実は、若い頃のおれもそうだった」
 太田黒はそう前置きして、学生の一人旅で金が尽き、白蟻退治のアルバイトで旅費を稼いで帰京したエピソードを、おもしろおかしく披露してくれた。
「似た者同士ですね」
 北島の口から素直に出た言葉には、無意識の願望が含まれていた。
 太田黒もまた、息子のように若い青年に同質の匂いを感じたのだろう、救いの手を差し延べてきた。「旅は道連れ、帰りの旅費がなくなったのなら、おれのヨットで東京に戻ればいい」
北島は、驚きのあまり、「ほんとですか」と、すっ頓狂な声を上げ、その場にいる七人の男たちをしげしげと見回していた。もっとも若そうな者で三十代、あとは四十代、五十代とおぼしきいかつい面々が揃っている。
「ヨットに、こんな大勢、乗れるんですか」
「こいつら、仕事が忙しいとぼやく軟弱もんでよ。明日の飛行機で帰るっていうんだ。ヨットで戻るのは、おれと柴崎のふたりだけだから、余裕は十分にある」
 ヨットになど触れたこともなければ、間近から見たこともなかった。八丈島から東京まで、距離もわからなければ、航海に要する時間がいかほどかもわからない。来るときは、竹芝桟橋を夜十時半に出て翌朝の午前九時頃に底土港に着いた。たぶん、似たようなものだろうと、一昼夜の航海を頭に思い描きながら、北島は即答していた。
「ぜひ、連れていってください」
 渡りに船とはまさにこのことである。自家用ヨットならば船賃はただ。これ以上アルバイトをする必要はなくなり、稼いだ分は生活費に回せる。
「出港は明日の朝六時半。それまでに神湊港に来るように。船乗りに遅刻は禁物」
 居酒屋の終了時間を過ぎるまで飲んだくれていた太田黒は、「ラッキー・レディ」という船名と、翌朝の出港時間を北島の耳元で囁き、笑いながら、仲間たちと連れ立って船に戻っていった。
……出港は明日の朝六時半。
 太田黒は昨夜、確かにそう言った。
 北島は、埠頭(ふとう)に降りるタイミングで時間を確認した。腕時計の針は六時半ちょうどを指している。
「六時半に来い」と言われたからその通りにしたまでであり、約束の五分前に到着するという生真面目な習性などまだ持ち合わせてはいなかった。
 埠頭を歩くほどに白い船体が近づいて、全長12メートルばかりのヨットの全容が明らかになる。ジブセイルは綺麗にフォアステイに巻き取られ、下ろされたメインセイルはブームカバーに収まってチャックで閉じられている。
 岸壁に立って見下ろすヨットのデッキに人影がなく、しんとしている。北島が想像していた光景と異なっているために、ちょっとした違和感に襲われた。六時半が出港時間ならば、今ごろ乗組員たちはデッキを動き回って作業にかかりきりのはずではないかと……。
 じっと耳を澄ますうち、どこからともなく響く異様な音を、かすかに聞き分けられるようになってきた。
 耳に届く異音は、どうやら、船首と船尾にある三つのハッチから漏れ出る男たちの鼾(いびき)のようだ。絶妙なハーモニーをなし、船全体が音に同調して心地よさそうに揺れている。
 状況が理解できると、北島は、「なんだ」と拍子抜けした。「船乗りは遅刻厳禁」が聞いてあきれる。出港は六時半と言ったくせに、乗員一同いまだ高鼾で眠っているのだ。